評伝 今岡十一郎

梅村裕子 著

3,000円(税込)

株式会社彩流社

 戦前ハンガリーで最も知られた日本人であった今岡は、ハンガリーを日本へ紹介した最大の功労者でもあった。彼が帰国して以後の、第二次世界大戦中、ハンガリーと日本は同盟国として蜜月時代を迎え、今岡はトゥラン主義運動を含む日洪文化交流を促進する推進役を務めた。終戦とともに始まった冷戦体制によって両国は分断されるが、1956年のハンガリー動乱によって、世界だけでなく日本からも注目が集まり、今岡は再び難民支援など交流の最前線に立った。本書は、長い間ほとんど知られずに眠っていた彼の遺品の発見から端を発し、それらの資料を精査し見えてきた彼の全活動の詳細、ハンガリー人達との交流史を描いたものである。

●今岡十一郎(1888-1973) は1920年代、ハンガリーに9年間滞在し、講演や文筆活動で日本人として初めて、ハンガリーにおいて名前を知られるようになった人物である。ハンガリー語がうまく本邦初のハンガリー語辞典を編纂し、日本・ハンガリー交流の礎を築いた。両国は戦前、文化協定を結ぶなど密接な関係になった時期もあり、その際の中心人物として活動し、多くの著書も出している。

目次
プロローグ 
第1章 日本とハンガリーの交流前史とその特徴
交流史の黎明期 修好条約の締結と交流の始まり
ハンガリーで出版された日本紹介の書籍
ヴァイによる3冊の日本紹介書 バログ、ボゾーキによる大著
第2章 松江から東京外国語学校へ、ハンガリーとの邂逅(1888-1921)
生い立ち 中学生活 東京の学生生活、ハンガリー人との出会い
バラートシ・バログ・ベネデク バログとの北海道旅行 第一次世界大戦の遺産
トゥラン主義の普及活動、そして旅立ち
第3章 ハンガリーでの九年間(1922-1931)
ブダペスト到着 ハンガリー語習得 記事の寄稿 人気講演者今岡
書籍『ウーイ・ニッポン(新日本)』の出版 書籍の評判 日本関係団体における活動
領土復活問題 貴族たちとの交流 私的領事今岡 経済交流を始める 高松宮夫妻の来訪
名誉毀損事件 ハンガリーとの別れ
第4章 日本とハンガリーの蜜月時代(1932-1945)
帰国 トゥラン主義と会報「大道」 今岡の主張 著書『ツラン民族運動とは何か』
大亜細亜協会で果たした役割 ハンガリー人の国民性 ハンガリーの伝統生活
ハンガリーを取り巻く国際情勢と『欧州の新噴火口』 文学の紹介『ハンガリー民族詩』
『ハンガリー語四週間』 家族との日常生活 文化協定の締結 文化協定連絡協議会
日洪文化協会の営み ハンガリー三国同盟に参加 会報「日洪文化」
『ハンガリー物語歴史』 ハンガリーに関する著作 日洪文化協会の閉鎖 
第5章 冷戦で分かたれた両国(1946-1973)
沈黙の十年 1956年動乱勃発 ハンガリー救援会発足
救援会の派遣団員としてウィーンへ 難民施設への慰問
ハンガリー人達との再会 ハンガリーからの招待、そして別れ
三人の亡命者日本へ 救援会出版の書籍『ハンガリーは死なず』
『ハンガリー革命』の出版 フィンランド語辞書から活動を再開
『ハンガリー詩文学全集』 「よこはま、たそがれ、ホテルの小部屋」
『ツラン詩文学全集』 『ハンガリー文化史概要』
マダーチ『人間の悲劇』の翻訳 ウラル・アルタイ民族関連書の翻訳
『ブルガリア』の出版 妻が支えた今岡の生活 ハンガリー語辞典の執筆
少数言語の辞書 ハンガリー語辞典出版に向けて 死の床にあって 辞書の内容とその後
あとがき
略年譜 講演記録 新聞記事などの資料