詳説「ラストボロフ事件」

稲村公望 著

2,600円(税込)

株式会社彩流社

ラストボロフ事件とは、旧ソ連によるスパイ事件である。諜報員ユーリー・ラストボロフは第二次世界大戦後、内外政策に関する情報収集の任務を帯び日本を訪れ、外務省や通産省の事務官らを含む日本人エージェントを用いて情報収集を行った。1954年1月24日、彼は米国へ亡命し、その活動を暴露したことによって発覚したのがこの事件であった。1953年3月スターリン死去。内務大臣ベリヤが逮捕され、ソ連国家保安機関内では粛清が開始された。1954年大使館の会議でラストボロフのモスクワ召還が決定される。彼は同年1月25日発の横浜-ナホトカ便で帰国する予定が、その前日1月24日、米国防諜員メリー・ジョーンズと接触、CIA代表部に引き渡された。「ラストボロフ失踪」についてはマスコミは様々に報じた。亡命後、彼は記者会見を開き、日本における情報収集活動の実態を暴露。1950年までにソ連のエージェントとなることを誓約した日本人約500名、その他情報提供者を含む潜在エージェントは約8000人を超えていたことが明らかになった。これらの経緯を調査した警視庁公安部の詳細なる報告書をもとに、国家による諜報活動の究明を本書では記した。

【目次】
はじめに
[1] 貴重なファイル
[2] ラストボロフの手記
[3] 駐日代表部の声明
[4] 第二、第三の供述調書
[5] 庄司宏
[6] 高毛礼茂
[7] 諜報活動の手先
[8] 暗号名は「ヨシダ」
[9] 捜査の経過状況
[10] 最後の連絡
[11] 志位正二の自首
[12] 宏池会初代事務局長・田村敏雄
[13] 石山正三と吉野松夫
[14] コード名ナカタ
[15] コード名ウエノ
[16] 飯沢重一ほか
[17] 暗号名エコノミスト
[18] 泉頸蔵
[19] 暗号名はタテカツとヤマダ
[20] 裏付捜査
[21] クロダとハニートラップ
[22] 暗号名ブラバー
[23] 淡徳三郎
[24] 都倉栄二氏
[25] 花井京之助
[26] 正木五郎ほかとコチェリニコフ
[27] 細川直知
[28] 古沢洋左
[29] 郡菊夫
[30] 斎藤金弥
[31] 柳田秀隆
[32] 吉川猛
[33] 深井英一
[34] ラストボロフの晩年
[35] スパイ防止法のない国・日本
[36] 独立国・日本へ
あとがき